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または私は如何にして心配するのを止めて人生を愛するようになったか
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Facebookをやって分かった2つのこと
すっかり、Facebookが生活に染み込んでいる。友達申請を出して、承認をもらえる。単純に嬉しい。友達の数が増えていく。単純に嬉しい。。子供のように喜んでしまう。押し間違えて全然知らない人に申請を送ってしまったり、いろいろと試していくうちに、気づいてきた。よくよく考えれば、ついこないだまで、ソッポ向いてた訳じゃないが、これといって興味を示すこともなかった、このSocial Network。浅いかなと思ったら意外と深く。

そもそも、Facebookって、自分も含めて大きなお世話そのものだ。良くも悪くも。普通、今までだったら自分が作ったブログがあって、そこにわざわざ見に来てもらうというのが、個人発信のあるべき姿だと考えていた。この「わざわざ」時間を作って、見に来る行為が嬉しいもんなんだけど。このFacebookときたら、とりあえず、見たい・見たくない関係なく、友達申請すると、会社の義務化された出張報告のように、マイニュースがやってくる。たぶん、これも抑制させるオプションはあるんだろうけど、取説読まない自分としては、ただなされるがまま。まあ、自分も含めて、果たして、どうなんだろうかと思ったりしながらも、じゃあ、なんでもさらけ出したくない部分もあって、そうしたものこそ読んでほしい時もあったりする。だから、ブログはやっぱり続けるべきだろう。そして、Facebookは多くを語らず、スナップショットのように使えればいいかなと思う。

もうひとつの大きなこと。それは、友達リストの作成でのこと。最初は、会社の連中に友達申請をする。これは申請を出しても承認の確率は高い。ほぼ100%だ。何故なら、今と大いに関係しているからだ。今まさにある人間関係において、パワー的にも関係的にもあまり下手なことは出来ない。そういう心理が働いてるんだろう。次に懐かしさを求めるならば、小学校時代。記憶の中で遥か彼方といえる分類の中、たどたどしい記憶の中で思い出す人の顔と名前、そして何かしら。その「何かしら」を求めて、断片の情報から探し出す作業は、驚くほど楽しい。自分の場合、その人が今何をしているのかということは、そんなに興味がない。むしろ、探している中で、その人の友達の中に、なんか見たことがあるなあと思っていたら、あの人だった!という驚きがたまらない。記憶とは、忘却されるものではなく、どこかに保管されているものだと知らされる。自分の歴史とは概ね思い込みで成立している。そこに、たしかにあった別の何かを見つけた時、人は驚嘆するわけだ。そうだったそうだったと。つまり、人間は今この瞬間に生きているのではなく、自分が描くストーリーと文脈の上に存在している。「Facebook」とはよくいったもんだ。まあまあ、直接的ではないが、たしかにある、この記憶の再生作業がある限り、Facebookには十二分に価値があると断言したい。ちなみに、最も七転八倒していた時代で価値観ぐちゃぐちゃな学生の頃の、知り合いや友人がまるで俺を避けるように示し合わせたかのごとくFacebookをやっていないことは、あいかわらず、社交性を捨て過ぎだという点において、何も変わっていないのかもしれない。やってないだろうなという人間は、だいたいやってないから。

その一人がつい最近までの俺なんだが。
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コメント
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2013/02/15(金) 11:33:40 | | #[ 編集]
Re: タイトルなし
junkoさん>コメントありがとうございます。メールの件、申し訳ないです。たぶん、自分が押したからいったんだと思います。定期的にはいかないとは思うのですが、もしきたらご面倒ですが削除してもらえますか。よろしくお願いします
2013/02/16(土) 19:09:55 | URL | mi1011 #-[ 編集]
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