無料ホームページ ブログ(blog)
mi1011.net罪と罰~光市の判決
mi1011.net
または私は如何にして心配するのを止めて人生を愛するようになったか
201704<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>201706
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
罪と罰~光市の判決
ようやく、光市の判決が出た。大方の予想通りだった。

それにしても、この事件は多くの人々に議論を巻き起こした。死刑の是非である。加害者に死刑が言い渡されたとしても、被害者は奪われたままで、表面上は何も変わらない。ならば、加害者の更生を考えるべきではないかというのが、概ね死刑否定派の考え方ではないだろうか。あるいは、国家が個人の命を奪うことを実行するのかという点も。罪のない人間を殺めるということを認めれば、社会は不安定になる。国家は社会を安定することを第一に考えなければいけないのであれば、ブレーキは必要といわざるを得ないだろう。そうした話はまあいい。問題は被害者だ。

被害者は奪われたままなのだ。なのに、それでも生きていかなければいけない。大切な人がある日突然いなくなる。心に喪失感という穴が大きく開き過ぎると、人はその人間との関係性と、失った事実を認識できなくなるという。そうした穴を埋める作業を一般に喪の仕事というらしい。そして、時間だけがその仕事を全うできる。

たとえば、戦争で死んでしまったとする。遺族は戦死をいかに受け止めることが出来るだろうか。戦争は、避けることが出来ない不条理だということを認識し、時間と共に受け入れていくしかない。じゃあ、これが、今回の事件のような場合、どうすればいいのだろうか。戦争とは違う、きわめて日常の中での出来事。避けられたかもしれない(実際は避けられないが)不条理だ。遺族はそれをどうすれば受けいれられるというのか。いくら時間が解決するといっても、これは難しい。物理的には避けられたかもしれないからだ。失うという事実が消えない。しかし、生きていかなければいけない。奪われたままでどうやっていけばいいのか。遺族の心の中で、どうやってその事実を受けいれろというのだろうか。私は思う、それは加害者が握っていると。極端な話、加害者がその事実を受け入れなければ始まらない。受け入れるとは、罪を認めるということ。被害者にとって、罰が死刑であろうと無期であろうと、実はそんなに問題じゃなかった気がする。ただただ、罪を認めるという行為を求めていたと思う。それでこそ、この出来事の不条理に終止符が打たれ、被害者は人生を再開できたであろう。(この点において、宅間守はすべてが確信犯だった。)しかし、加害者は愚かだった。ただただ自分のことしか考えていなかった。だから、そこに待っていたのは、極刑であったのだろう。極刑と決まった瞬間から、というか、極刑にならないと、事実を受け入れ始めなかったのだろう。被害者が判決後の会見で示した言葉は、まさにそこにあったと思う。

被害者が司法に絶望し闘争したのかも分かる。加害者が罪を認め、反省する。これは加害者の仕事だ。加害者がその仕事をしていないにもかかわらず、司法は思考停止のまま、判例にしたがって、罰を当てはめているだけに過ぎないことが分かったからだ。元々、加害者が未成年者であろうとなかろうと、そんなことは問題ではなかった。加害者がやった事実が、あまりにもひどかった。そのひどさに見合う反省は並々ならぬはず。罰もまた同じ。しかし、司法はそこを読み取っていなかった。未成年だから何年、二人殺したから何年、殺意があったから何年、こんな感じだ。ソロバン勘定。それでいて、判例(昔の判決結果)をみて、過去と同じような結果を出す。これを思考停止といわずして、何という。

もはや、終戦直後ではない。人を殺めて生き抜こうとする時代ではない。物質に満ち溢れた時代だ。どんなに不景気だといわれても、人を殺めなければいけないほど、困ることはない。にもかかわらず、人生に真摯に取り組もうとせず、ただ己の欲のみを考える愚か者がいる。彼らはきっとその罰を算段しながら、その罪を実行する。彼らはある意味賢いのだ。だから、これから先も、判例に守られながら、反省したフリを繰り返すだけだ。「私は反省しました」と汐らしい態度をとったところで、本当の心は透視できない。人は神ではないから。今回の判決にあたり、最高裁の一人の判事が精神年齢が満たされていないという理由で異論を唱えたという。それに対する、裁判長の答えは実に的を得ていた。そんな指標などないと。そう、そんな指標はない。ただ、起こった罪に相当する罰がそこにあり、その罰に対して、加害者がそれを受け入れていくしかないのだから。そもそも、一審で無期判決後に、友人に宛て無反省ゼロの手紙が公表されなかったら、こんな終わり方も迎えているはずがないだろう。皮肉といえば皮肉だ。

テレビはまた表面だけをなぞっている。司法の厳罰化だと。ちがう。それが進んでいるのではない。「罪と罰」とは何かを、司法はもっと考え抜かなければならない。そして、我々も「罪と罰」を考えなければいけない。いつ、避けられたかもしれない不条理がやってくるのか、分からないのだから。
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
裁判長にいいね!です。
それ相応の罰を与え、加害者は受け入れるべき。
2012/02/23(木) 22:34:52 | URL | まついさん #-[ 編集]
Re: タイトルなし
まついさんコメントありがとうございます。きちんとした捜査と、公正な裁判を希望したいものですね。
2012/02/24(金) 18:31:22 | URL | mi1011 #-[ 編集]
コメントを投稿する
管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
copyright © 2004-2005 Powered By FC2ブログ allrights reserved
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。