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mi1011.net大臣の辞任に思う
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または私は如何にして心配するのを止めて人生を愛するようになったか
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大臣の辞任に思う
東京電力福島第一原子力発電所周辺自治体を視察後の不適切な言動の責任をとって辞職した鉢呂経済産業相は10日夜、経産省で緊急記者会見を行い、「私の一連の発言で国民の皆様、とりわけ福島県民の皆様に多大な不信の念を抱かせ、心からおわびしたい」と謝罪した。

発言は「死の町」と、オフレコで記者に「放射能つけちゃうぞ」と悪ふざけ。これでアウトとなったわけだが、まあ、おそらく大臣になれて相当に嬉しかったのだろう、足元が浮ついてたんだろうな。特に記者に悪ふざけした内容がどうこうではなく、原発事故で傷ついた国を再建しなければいけない、その中心となるべき当事者としての意識がないからこそ、そんな悪ふざけを普通にやってしまう。アホといえばアホ。

とはいえ、この国は本当にこうしたアホみたいなことですぐダメを押す。なんとも感情的な国だ。情緒的といったほうがいいかもしれない。正直にいえば、こうした、突っ込みどころ満載でアホなことをしてしまう奴もアホだとは思うが、この程度でいちいち目くじらを立てて「期待を裏切りやがって」と怒り狂う奴もアホじゃないかなと思う。大臣の評価は、本来実施された政策の結果や進行具合なのではないのか。そうではない、その言動や態度に求めている気がしてならない。いい人か、そうじゃないか。期待をしているのだから。何を?いい人であるかどうかということか?なんでもかんでも、たとえば学校の先生はもちろん、上司、相棒、嫁、友人、その他、自分以外の人間に過度の期待をもち、聖人君主のようなものを求める。絶対失敗しない、愚かなことをしない。勝手にそう思い込み、勝手に期待し、勝手に失望したりする。なんか違うことないか。関東軍や、日本の会社の上層部にも通じることだけど。上は絶対に過ちを犯さないという前提。

本来、人間が絶対的にどうかなんて評価はあまり意味がないと思う。Aという人間がいる。自分にとって、Aが重要かどうか。それはAと私との関係性が語るもののはず。分かりやすいたとえでいえば、Aが上司としよう。その上司Aが○か×か、それは絶対的なものではない。自分にとって×だとすれば、それは自分とAとの関係が×というだけの話で、別の人間にとってAは○かもしれない。まあ、誰とやってもダメな人間はもちろんいる。ただ、そんな極端な例は非常に少なく、人によって人は変わる。いや、要するに何がいいたいかというと、そいつがダメかどうかなんていうものは、いろいろな角度・関係によってはじき出されるもの。俺が上記の大臣だとすれば、オフレコでふざけたことを絶対云わないかという自信はない。大義名分を掲げたとしても、人間、年がら年中緊張していられないものだ。大臣がしたことはアホなことだとは思うが、大臣は絶対にアホじゃないと思わないほうがいい。人間なんてそんなものだ、良くも悪くも。もし、「そうじゃない、私は常に間違っていない。」と思うのであれば、それはそれでいいんじゃないかな。そんな人間、今までみたことがないけど。
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