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mi1011.net2012年09月
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または私は如何にして心配するのを止めて人生を愛するようになったか
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忍耐
艱難(かんなん)は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ず
(新約聖書ロマ書5章)

忍耐 ――肉体的な小心と道徳的勇気の混じり合い
(ハーディー)

堅忍という美徳はしばしば頑固と混同される
(独の劇作家コッツェブー)

君の心の庭に忍耐を植えよ、その草は苦くともその実は甘い
(英小説家ジェーン・オースティン)

我々は現在だけを耐え忍べばよい。過去にも未来にも苦しむ必要はない
過去はもう存在しないし、未来はまだ存在していないのだから
(仏 哲学者アラン)

重要な事は、なにを耐え忍んだかという事ではなく、いかに耐え忍んだかという事だ
(ルキウス・アンナエウス・セネカ)

大いなる精神は静かに忍耐する
(ヨーハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・シラー)

怒りを敵と思え
(徳川家康)

忍耐と長時間は、往々にして力や怒りよりも効果がある
(仏 詩人 ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ)

寛容な者は最も性急な人間であり。辛抱強い者は、いちばん非寛容な人間である。
(独 評論家 ベルネ)

忍耐というのは終結された根気である
(ベーコン)

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バスが来たぞぉぉぉ!
バスはいい

歩くほど、時間はかからない

自家用車ほど、狭くない

タクシーほど、金はかからない

おかげで、脂肪は減らない。

変なオッサンと席の争いをする。

ボディブローのように小遣いが減っていく。

バスはいい

秋、空の上での映画祭り
往復の機内で5本観た。
軽い飢餓状態だったのかもしれない。

①デンジャラス・ラン
原題はSAFE HOUSE(隠れ家)。なのに、デンジャラス・ランて。デンジャラスにランつけたら、客増えるだろうって、もうそんな単細胞な観客しか来ないかって、そうかもしれないな。うん。でも、デンジャラスにランってみんな、そんなタイトルじゃないのか。とにかく、内容はデンジャラス・ランかもしれないが、俺は原題を支持する。内容はというと、デンジャラスな「ミッドナイトラン」という感じ。やっぱり、デンジャラス・ランかよ。まあ、そういう感じで邦題つけられたんだろうな。つまり、俺程度の戯言ですわ。そうそう、内容の話。デンゼル・ワシントン、いいなあ。髭剃る前・剃った後のキャラの微妙な使い分け。心移りというべきか。相棒は冒頓で普通やねんけど。それで、誰が黒幕かって、おそらく映画観てる人は開始早々で分かると思うんで、映画の筋は凡庸。また観たいかというと、特に。ただ、どこで「TAKE TIME TAKE TIME」というんだろうと思ってた。

教訓:果報は寝て待て

②プロメテウス
リドリー・スコットが死ぬ前にやり残していたことをやったという感じの映画。たぶん、こいつだけが気持ちよかったんじゃないだろうか。それぐらい、面白くなかった。というのも、映画が「エイリアン」そのもの。あと、「遊星からの物体X」のフレーバーが、といえば、大抵予想がつく。なんとも、かんとも。デカい宇宙人の暴れっぷりは楽しかった。なんか知らんけど追っかけてきて、エイリアンもどきと乱闘して、飲み込まれてエイリアン誕生って。小学生並のシークエンスやぞ!!

教訓:さわらぬ神にたたりなし

③MIBⅢ
ご存知、宇宙もんのコメディ。さすがに続編の続編に来たら、話の前提が分かっている上で観るから、やる側も見る側も楽だ。ただ、楽なままだと誰も楽しめない。だから、キーワードをちりばめて、ストーリーを変な風・変な風に持っていく。まあ、敵役もまあまあなので、どのようなオチが待ってるんかなあと思ってるうちに、ケネディ宇宙船に行くくだりに入り(一旦ここで寝る)、また起きて、見直してると、はいはいそれまでーよーと思いきや、思わぬところで大ドン返し。なるほど、そういうことですねということだ。後味も良い。
ポテチ食いもって、家で観るには最適。

教訓:立つ鳥、後を濁さず。

④クレーマークレーマー
名作というやつは、なんで名作といわれるのか。何度も見れるからだ。何度も発見があり、感動がある。台詞の間の感情であるとか、そもそもの話の展開であるとか、細かい部分以上にそうしたニュアンスの部分。表現として、なぜにそこまで味が沁み渡るんだろうね。不思議なものだ。ビリーのかわいさといったら!なんだ。あと、ダスティ・ホフマンのかっこよさと哀愁といったら!最後の最後のメリル・ストリープの顔。いや、ほんと、味があるわ。ビリーを奪われたくない一心で、ゴリゴリゴリゴリで復職。ところが、裁判で一転、メリル・ストリープがぼこぼこに責められているのを聴いて、すっかり柔和されているダスティ。男は優しいなあ。ほんと。結局、この映画はグッド・エンディングだったのか、バッドなのか、それが分からないまま、終わってる。まあ、たぶんよく終わってるんだろうけど、夫婦間の絆の部分は語られてない。だから、私見ながら、結局、また別れてしまうんじゃないだろうかという気がしてならない。

教訓:男は優しい。その甘さが常に命とり。

⑤ものすごくうるさくて、ありえないほど近い
この映画をみて感動された方に対しては大変申し訳ないが、俺は全く何も感じなかった。たぶん、字幕じゃなくて日本語吹き替えだったからということにしておきたい。いや、そうじゃない。たぶん、主人公のガキに共感できなかったからだろう。それぐらい、なんにもおもわなんだ。じじいは良かっただけに残念

教訓:感動しろといわれても感動できるものではない。
ミュンヘンの風景(番外編)
女の胸がデカい。

いや、ミュンヘンの話。思い出した。ただデカいんじゃない。むっちゃくちゃなんだ。むちゃくちゃデカい。FとかGの問題ではない。KかNだ。「巨乳」という定義を軽く凌駕する、この現実。たまたまなのか、必然なのか。それは分からないけど、呆れるぐらいの重量感。まあ、デカい。重い。もってないけど。あれで振りかぶってビンタされた日には、アゴの骨が折れるだけでは済まないと確信できる。まあ、重いよ。もってないけど。それで、スリムかというとさにあらず。レッグラリアートされると死ぬぐらい、肉体がデカい。尻も俺の3倍大きい。冗談ではない。逆に言えば、びっくりするぐらいきれいな脚をみない。モデルという生き物が特別扱いされるわけだ。

一方、男はというと、これが意外と普通。オランダでは、男が異常に大きくて、ミスター2mオーバーとか、巨人族めと思ったもんだが、ドイツの男はそうでもなかった。(今だ見たことがないような小さな山のような男を目撃したけど。小錦みたことないけど、たぶん、小錦よりでかい)

男がそんなもんだから、余計に女の胸のデカさには辟易する。デカくて当たり前。もうそんな次元だ。だから、あまりにもありがたみがないからか、それともセクシーゾーンがいかれポンチだからなのか、とにかく胸の谷間を出す。もう、若かろうが、老いていようが、皆、谷間を出す。出すことに何か問題でもあるのかというぐらいに出している。男が髭を生やすように、女が胸の谷間を出している。これも、むっつりスケベの小人の日本人オッサンからすれば、おまえたち、けしからんぞ!!と胸の谷間に指を差して注意したかった。

もう、あんなんみると、日本ってほんと、しょーもないことでギャーギャーいうてるね。それはそれで、妄想が広がっていって文化が育ったんだろうけどね。
ミュンヘンの風景
9月15日から23日まで、ドイツの新ミュンヘン国際見本市会場で展示会が開催された。
毎晩ビールを飲んだくれてたおかげで、日記を書いていない。とりあえず、備忘録を残しておく。

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ホテルはHoliday In Munich。ミュンヘン空港からタクシーで30分(50ユーロ)。ネットはオプションで使えるが、アホみたいに電波が切れる。日本は本当に便利だ。朝食はオプションで20ユーロ。アホみたいな金額なので、一度も食べず。ここから、バス停(地下鉄駅:アラベラパーク)まで徒歩15分。この周囲の家は皆でかい。

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ここが会場。ビッグサイトよりたぶん広い。

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展示会中、お金を払って食った唯一の昼飯がこの「0.5mソーセージパン」。見たまま。こんなもんに金払うぐらいなら、そのへんで展示しているところのパンやクロワッサン、スクランブルエッグ、パイ、アイス、コーヒー、チョコを食う方が、コスト的にもクオリティ的によいことに2日目で気づく。

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地下鉄のマリエンプラッツ駅を上がると、目の前に広がるのはこの教会。壮観。猛烈に感動していると、突然、かわいいドイツの女子高生が「写真撮りましょうか」と声をかけてきた、日本語で。ええ?!と驚いてる間もなく、同行のT君はカメラを渡してる。そのままカメラを持って行かれる気がしてしょうがないまま、不信感を露骨に表情に出したまま撮られて、そそくさと俺は逃げる。がしかし、ひょっとして本当に親切心100%でやってくれたんじゃないかなということに気づき、40年で汚れきった己の判断フィルターに疑問を抱く。あと、展開力のなさにも。

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3日目の夜、お客さんを接待。無事終了、解散。その後、他のメンバーは飲みに。俺は独りで帰ることに。本来はマリエンプラッツ駅からそのままタクシーで帰れば20分で20ユーロ程度のもんだが、もったいないと思って地下鉄に一人で乗ったのが運のつき。U4ラインの終着駅(アラベラパーク)に行くはずが、途中でU5ラインに乗ってしまい、なんだか誰もいなくなったなあ、まあ、ホテルの近くは田舎だからなあ、と警戒心ゼロでいってるも、さすがに、駅じゃないぞ、この外の風景は。ひょっとして、倉庫?周囲を見渡す。誰もいない。車掌もない。いないない。いないぞおおおおおおおおおおお。誰も。そういえば、バスでほったらかしにされて朝凍死したおばーはんのニュースを見たことがある。まずい。まずい。まずい。といっても、まずい状況は変わらない。ならば、エマージェンシーボタンを押すことに躊躇はない。人生初めての緊急ボタンがドイツとは。押す。ぶー、ぶーっと鳴りまくるも特に変化なし。ならば、扉の非常開閉を使って脱出して線路を渡るか。たぶん捕まるけど、死ぬよりはましだ。とか、シュミレートしていたら、ようやく車掌と遭遇。その後、また2回ほど間違えて乗り直す。ようやく、アラベラパークに到着して地上に上がったら、見たことのない風景。もうだめ、もうだめだ、俺は。目の前のタクシーに飛び乗り、HolidayINにいってくれと頼んでも、運転手は「どこのHolidayIN?4つあるよ」。じゃあ、もう、そのへんのHolidayINからいってくれ。

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驚いたのは、犬とドイツ人の関係。リードをつけずに普通にいっしょに動いてる。犬がかしこいのか。日本人がアホなのか。

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ミュンヘンでぶっちぎりでうまかったのは、このお店、ホフブロイハウス。
ヒットラーが演説した場所で有名なんだから行くしかない。キャパは本当に広い。ぶわあああと人が山のようにいるので、入店をあきらめてしまいそうだけど、ぐいぐい店の奥を歩いてると、なんとなく空いてるところがあるので、勝手に座って店員を待っていればいい。ただ、この「待つ」のに、たぶん20分以上かかるので、気長に、気長に構えることをお奨めしたい。

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こんな感じ。

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シュバインツハクセ(豚骨付きのすね肉丸焼き)。とにかくこれが最高。
それで、ソースがまた絶妙。人によりけりだけど、俺は独りでこれを1個食べれると思う。
ちなみに、奥の玉はジャガイモ。しかもただのジャガイモじゃなくて、一旦砕いた後に丸くした、
ジャガイモの団子のようなもの。実際、プニプニしただんごみたいな味。

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ミュンヘン名物の白いソーセージ。皮は食べずにナイフで中を切って食う。とろけるような食感だ。ここにハニーマスタードをつけると、一気に旨味が上昇。絶品だ。また食いたい。ちなみに、この白ソーセージは午後8時までしかお店では出していないそうな。理由は、肉がすぐダメになってしまうかららしい。

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ドイツ出張、最大の発見。お店の中をぐらぐら歩いてる店員のおねーさん(胸全開)が売りさばいてる
巨大プレッツエル。粉ぽくて固くまずいイメージしかなかったけど、ここの生地はやわらかく、上にちりばめられた岩塩がうまい具合にあってて、なかなかどうしてという味。

えーっと、他にも書きたいことはあるといえばある、ないといえばないので、このへんで。
熊谷の風景
タクシーに乗っていると、運転手のオッサンが絡んでくることがある。この絡みも、受け手であるこちらの気分次第で、重くなったり、けだるかったり、うざかったり、する。ほとんどのケース、面倒くさい。週末で直帰とかぐらいの解放感に満たされた限りではないのなら。早く客先に着いて、商談して早く帰りたい。そんな気分をまったく察することもないぐらい、話は転がっていくこともある。

「いやあ、私も50年前ですね、銀座のだるま寿司というところで働いてましてね」と、運転手のオッサン。

「え!?板前さんだったんですか!?」と正しく突っ込んでほしいんだろうが、あえて、そこは、

「ええ」

で相槌を打ち、喋りたいように喋れよというスタンスを貫いてみる。これもまた優しさであるといいたいが、本当のところは、そんな突っ込みをしたくないぐらい俺はしゃべる気はないんだから、頃合いよく話をまとめてくれよというのが、本当のメッセージ。受け止めているようで、そらしている。それが伝えたかったこと。ところが、話は、

「その頃はですねー、Tシャツ一枚で過ごしてましたよ。出前とかねー」

こういわれると、こちらとしては、「そんなにあったかかったんですね、東京って」というのが正しい返事だ。そうはいっても、俺はそんなに話を膨らましたくないし、出来ることなら無言で過ごしたい。とはいえ、「へーえ」といってたんでは、オッサンもちょっと盛り上げようとしてるのに、なんだこの客は。メタボか。という反抗期的に俺はタクシーからづりおろされるのではないか。それはさすがに嫌だ。というか、今、暑い。外は熱砂。タクシーの中はオアシス。立場はどちらが上か、客ではない。オッサンだ。ならば、従うしかない。だから、「そんなにあったかかったんですね、東京って」というといた。不本意な形で弾みをつけてしまったもんだから、オッサンは、そこから

「都内のタクシーはここよりもスピードあげて走ってるんじゃないですか」とか、
「群馬の空っ風で畑を乾かしてる」とか、
「麦が多いから、パスタがよく生産されてますよ」とか、

特に聴きたい訳ではない情報をてんこ盛りで、聴かされて、俺はますます仕事をやめる決意を固めたのであった。

帰り、タクシーを使わずにバスに乗った。
バス停留所の近くで変なものを見つけた。
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きっとノアにちがいない
ペヤング激辛カレーやきそばを嗜む
引き出しの中でしばし眠っていた、ペヤングの新作。
本当は赤い方に挑戦してみたかったけど、入門編としてここからいってみたい。
どれぐらいのものかと。

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出来上がりがこれ。
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こんなに味気のない食事って、かつてあっただろうか。
それとも、俺は随分と贅沢をいうようになったのか。
カレー味と謳ってる割に、ソースをかけた見た目はこの通り。
かけたのか否か分からんような感じだ。食べてみる。うん。

まず、辛い。それは間違いないけど、びっくりするような辛さではない。カレーの辛いスパイスにやきそばをまぶしてみました。以上。もう、これ以上の表現ってないと思う。味わいはない。辛い、終わり。そんなテイストだから、想像以上に早く食べてしまえる。あっという間に終わる。問題はここから。このスパイスが劇薬なのか、唇が痛いのなんの。痺れる麻な感じじゃなくて、本当に辛くて痺れてる感じ。痛いわ。ガッカリやな、この仕様では。リピートはないだろうし、ますます、噂の赤いやつを食べてみたくなった。
がりがり君 コーンポタージュ味を愉しむ
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「売り切れで購入不可」と叫ばれてる噂の一品。セブンイレブンに入ると、普通にあったで。
買うべきか買わざるべきか。悩むこと1秒。20秒後にひとくち。

もぐもぐ

うん

辛いか甘いかでいえば、甘い食べ物。想像を超えた薄目の塩気。薄くもないけど濃くもない、砂糖の甘さじゃない、コーンの甘さ、と思い込んでしまうように頑張ってみた味付けの甘さだ。これで成り立ってる。意外と食べれる。おかずアイスという新しいジャンルなんだろうか、それとも、おかずお菓子の一員とでもいえるんだろうか。どちらにしろ、赤城乳業の開発部門には恐れ入る。よくこれが社長の印をもらえたなと。味わい以上に「コーンポタージュ」をアイスにしようとしたその心意気が素晴らしい。うん。それで、売り切れ続出。うん。素晴らしいじゃないですか。そう考えると、あとに続くのが、日本の特徴。トマト?ナポリタン味?カレー味?カレーアイス?!辛くて冷たい?!どちらにしろ、このジャンル、第二弾、第三弾に期待したい。それで一番肝心なこととして、また、次食べたいかというと、それはない。


だまされたと思って、におってみ的

「ルークの肉球って、何の匂い?」と聴いたら、
「ポップコーンよ♪」というもんだから、渋々におってみた。

くっっつさ

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転職できない男~OH職務経歴書!~
さて、職務経歴書だ。

履歴書よりも職務経歴書。これが一般的な考えとして浸透している。何をやってきたのかを知れば、どんな風にやれるのかをある程度は予想できるというわけだ。まあ、学歴をみて、ある程度は「こいつは我慢できる奴だな」と判断されたり、地頭があることを認めるようなものだ。随分前に、元リクルートのビジネスマンが書いた本に影響を受けた。それはエッセーなんだが、自由と仕事のバランスがとれた、ある種理想とする仕事人の考え方が書かれていたものだ。いいなあ、これ。そう思ったら、即断採用。巻末にあった職務履歴書を元に、入社してから今までの経緯を時系列に書いて、かつ、その中でどのような経験をしたのか、真似てみた。ポイントは、何に成功し、何に失敗したのか。

外資系に転職してGMになった小学校の友人と、ひさしぶりに会った。彼の力を借りよう。そう思って、彼にそれを見せてみた。「全然、おまえの姿がみえへんで。」うぐ、そうか。そういうものか、客観というやつは。叩いてくれ、俺のために。おべんちゃらをいわない彼らしく、ガンガン改善案を出してくれる。そうだ、そうなんだろうな。彼との往復書簡で、たちまち職務経歴書の中身は変わっていく。ポイントは、次の通りだ。

・何ができるか
・数字はどれぐらいなのか
・数字に直結しないことは書いてもしょうがない
・コンパクトか

そういうことだ。俺は商品。何ができるかということを極めていくしかない。そう考えると、愚にもつかない仕事を随分してきたなと今更ながら感じる。誰もしたがらないからする。そんな仕事は、結局誰もアピールにならないから、外からみても分からない。分からない仕事は評価されない。評価されないから誰もやりたがらない。うん、簡単な話だ。評価されない仕事を延々とやり続けてきたツケか。単に、そうした評価されにくい仕事に対して、きちんと評価できるシステムが確立されていればいいだけの話なんだが。それはきっと一番難しい類だろう。

閑話休題。
友の優しい気持ちに触れて、ようやく完成した、職務経歴書。営業の数字を強調編と、肩書きないけどマネージメント的なこともやったと強調編の2種類だ。さあ、張り切っていくぜ。と舵を切った途端に、座礁。その心は・・・

つづく
The boxer
こんな若造の身の上話を聞こうなんて、
あんたも変わってんな
そりゃ俺だって、どこにでもある様なささやかな暮らしってやつを
追い求めてきたんだ

せいぜい面白おかしく、
あんたが聞きたいように聞いてくれればいいよ

俺が家を捨てて、故郷を離れたのは、まだほんのガキの頃さ
見知らぬ人たちの中、静まり返った駅のホームで、不安に怯えていた

そりゃ、ひどい暮らしだった
ボロをまとった人達が、吸い寄せられるように集まる貧しい街の中で、
「いつかここを出てってやる!」って、そればかり考えてたんだ

日雇いの給金程度でもいいからと、こっちに来て職を探し回ったけど
どこからもお呼びはかからずさ

声をかけてくれんのは七番街の娼婦だけ
あんまり悲しくて、寂しかったから、
その温もりにすがった事もあったよ

こんなコートを脱ぎ捨てて、故郷に帰りたいよ

ニューヨークの冬は、寒くて寂しくて耐えられないよ
ここには、俺なんか居ちゃいけねえってさ
さっさと帰れってさ

そう言うと彼は、寂れた拳闘場のリングに上った
その日の暮らしのために
彼を叩きのめそうとする、敵のグローブをじっと見つめながら、

自分への苛立ちと、恥辱のなかで彼は叫ぶ
「もういやだ、もうたくさんだ!」
でも、彼の殴り合いの日々が終わることはない・・


I am just a poor boy
Though my story's seldom told
I have squandered my resistance
For a pocketful of mumbles Such are promises

All lies and jests
still a man hears what he wants to hear
And disregards the rest

When I left my home and my family
I was no more than a boy
In the company of strangers
In the quiet of the railway station Running scared

Laying low,
seeking out the poorer quarters 
where the ragged people go
Looking for the places only they would know

Asking only workman's wages I come looking for a job
But I get no offers

Just a come-on from the whores on Seventh Avenue
I do declare, there were times when I was so lonesome
I took some comfort there


Then I'm laying out my winter clothes 
And wishing I was gone.Going home

Where the New York City winters aren't bleeding me,
Leading me, going home.

In the clearing stands a boxer
And a fighter by his trade
And he carries the reminders
of every glove that laid him down
or cut him till he cried out

In his anger and his shame
"I am leaving, I am leaving"
But the fighter still remains
転職できない男~はじまりはじまり~
会社やめたいな。
社会人経験があるなら誰もが思ったことはあるはず。

会社をやめる。
ここまで来るのはなかなかありそうでない。

やめたいか、やめるか。いうまでもなく、この違いは大きい。

去年の年末、やめると決めながらも、「やりきってないのではないか」と思い直し、また仕事に励む日々を送っている。その中で二つのことが分かった。一つは、仕事はいくらやってもやりきることはないということ。もう一つは、いくらやっても嫌なものは嫌だということ。

人は多くの面で現状に文句を言う。実力を認めてもらえないからか、評価が妥当ではないか。美意識に合わないからか。将来的に希望を感じないからか。そんなに文句をいうなら、自分が変えればいいじゃないか。嫌なら会社組織を変えればいいじゃないか。そこが好きなら変えようと努力するだろう。嫌いだから、変えようとも思わないだけなんだ。要するに、知るかと。そう、俺は今の職場に移ってから2か月でこの心境に到達していた。知るかと。なんで、自分のキャリアを全て捨てないといかんのだ、なんで、人のケツを拭く仕事をせなあかんのだ、アホか、仕事の話も一切したくない、絡みたくもない、関わりたくない。その思いをいくら誰かに伝えようと思ったところで、それを理解できる人間はいない。自分の状況や心境を理解できるのは自分だけだからだ。会社で他部署の人間に会うたびに、「おはよう、会社やめるわ」と毎日いいたいぐらいだった。それは今でも変わらない。その鬱積したネガティブな気分を毎日押し殺してきたものの、最近思い出した、たった一つの真理の前では、その行為は無意味そのものだと分かった。「人生は一度しかない」。そして、仕事の前で、唯一最大の真理の前では、全ては無だった。「嫌ならやめろ」。

問題は次だ。今から転職。今は40歳。そんな年代の転職活動が、悠々自適の金持ち旅行にはならない。小学3年生でもわかることだ。難しいよー、ってアホでもわかる。今よりも大変だよーという。そうだな、大変かもしれないな。でも、その前に今が大変なんだけどな。物凄いブラックかもしれないよー、って今はブラックじゃないというのかね。甘くないよーという。そうだな、甘くないだろうな。俺は甘くておまえは辛いところにいるんだろうな。サッカーA代表の試合をみて、「もっと点取らないと、もっと守れないとワールドカップ優勝できないね」と批判してるようなもんだ。分かりきっとるわ。どうすれば勝てるのか。どこに勝機があるのか、そこを必死で考えていくことが重要なんであって、分かりきったことをわかりきっていってどないやねん。

そんなことを毎日考えもって、それでいて、今の仕事も妥協しない。そういう生活を送りながら、心に余裕のある文章をブログにアップすることは、到底実現できない。更新も少なくなる。大いに悩んだ。内々の内容で内情を知る人間も見ている中で、書くべきか否か。理想は「ある日突然やめる」。やめるやめるいいながら、やめてないでは、やめるやめる詐欺ではないかと。本当はいつも、「やめたいじゃなくて、今すぐやめる。そんな気分や。」と説いて回りたいぐらいだ。ふと思った。ブログとは何か。人生の備忘録であるべきなんだ。俺のための。そうなら、話は早い。書こうじゃないか。書いて書いて、まあ、あれやったら、やめようと思ってる人に役立てるような、奮闘記でいいじゃないかと。最終的に、現実を嫌という程味わってやめないほうがいいと判断したでもいい。

さあ、はじめようか。転職するために必要なこと。
それは、職務経歴書。
つづく。
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