11月24日午後3時35分、じいちゃんが逝きました。
午前6時45分。
病院到着。当日と26日に会社の休みを取り、23日から病室で看病していた僕は、点滴が痛々しくもベッドに寝転んだじいちゃんからの突然の要求にひたすら対応しておりました。「肩もんでくれ」「枕しぼってくれ」「体を向こうに向けてくれ」「布団かけてくれ」しょうがないなあと思いながら、看病に疲れた両親に代わり、エッサエッサと労働。
午前7時45分。
両親到着。同時に主治医到着。ここ4日間ほど、食事を全く取らなくなったことに皆悩んでましたが、朝のおかゆをガツガツ食ってくれました。ようやく元気が出てきたかと安心。寝たので、残った親父と僕は病室で各自の仕事。
午前10時30分。
起きたじいちゃんから「牛乳飲みたい」
午前12時00分。
昼食のため、親父と外出。
午後1時00分。
出社する親父に代わり、長妹がやってきて、二人で看病。
午後1時30分。
吐血。看護婦を呼び、吐血剤を点滴に注入。親父に連絡することを考えましたが、心配もさせたくない上、夕方には親父も戻ってくるので、とりあえず、静観することにします。
午後2時00分。
じいちゃん、酸素マスクを拒否。代案として鼻に直接付けるタイプの酸素吸入。
午後2時20分。
看護士の血圧チェック。血圧がやや下がっているためか、測定器を変えて2度実施。
午後2時30分
二度目の吐血。看護婦を呼びます。主治医の先生が俺を部屋の外に呼びつけ、「かなり厳しい状態になる可能性が高い。施しようがないので、ある程度覚悟してほしい」
午後2時40分。
じいちゃん落ち着く。
午後2時45分。
なんかしんどそうだ。横になってベッドにしがみついている。とりあえず、看護婦を呼びに下の階のナースステーションに走る。
午後2時50分。
看護婦さん、血圧を測って驚愕。主治医に緊急指令発令。これはまずいぞと思ったので、親に電話を入れようと外に出ようと思った瞬間、看護婦さんが大声で呼んでも眼と口を開けたまま応答せず。心臓が止まっている模様。
午後2時51分。
主治医代行と看護婦全員が集合。主治医代行から、体内で出血して血圧がどんどん下がっている、よって、○○と××の方法があるが、どちらでいくかと選択を任されるも、まったく判断できないため、親父に電話。親父と主治医代行で会話させる。最終的に、主治医に任せることで決定。
午後3時00分。
主治医、人工呼吸マッサージ。装置の心拍数表示、反応を示すも、非常に微量なパルス。主治医に外に呼び出され、「がんばってくれてきたけど、これ以上はもう難しい」各方面に電話を入れる。
午後3時35分。
家族が到着。臨終を伝えられる。
齢90、ボケもせず、病室にも本を持ち込む程の活字中毒。幼少時に母方の祖父を亡くしたこともあり、「じいちゃん」といえば、彼のイメージです。その生命力には驚愕します。10歳で母を、15歳で父を亡くしたにもかかわらず、小学校・中学校の校長になり、その長き功労を称えられ、6年前には天皇から勲章をもらうまで上り詰めていきました。生前、よく食いよく寝よく本を読み、誰にも寄らず、誰にも驕らず、実に我が道を邁進する元祖でした。
実は2年前から体調は優れておらず、入退院を繰り返していました。足がパンパンに張り出し、水がたまるようになり、水の成分を調査した結果、ガン細胞が見つかりましたが、どの部位からかを特定するには手術が必要です。が、高齢者の手術を実施する医者はなかなかいません。よって、自然治癒を望む他はないのが現状でした。
そんなにかわいがってもらった記憶はありませんが、怒られた記憶もありません。なんともいえないオーラを常に出していたじいちゃん。部屋の中で山高帽を被ってサッカー観戦している姿が印象に残ってます。家に帰れば「帰ったでえええええええ」と近所中に響く声で叫び、口癖は「おおきに」。そんな彼の最期を見届けれたことは、ある意味で喜びでもありました。
とりあえず、じいちゃん、天国でNHKの国会中継とサッカーと相撲、ゆっくり楽しんで下さい。
午前6時45分。
病院到着。当日と26日に会社の休みを取り、23日から病室で看病していた僕は、点滴が痛々しくもベッドに寝転んだじいちゃんからの突然の要求にひたすら対応しておりました。「肩もんでくれ」「枕しぼってくれ」「体を向こうに向けてくれ」「布団かけてくれ」しょうがないなあと思いながら、看病に疲れた両親に代わり、エッサエッサと労働。
午前7時45分。
両親到着。同時に主治医到着。ここ4日間ほど、食事を全く取らなくなったことに皆悩んでましたが、朝のおかゆをガツガツ食ってくれました。ようやく元気が出てきたかと安心。寝たので、残った親父と僕は病室で各自の仕事。
午前10時30分。
起きたじいちゃんから「牛乳飲みたい」
午前12時00分。
昼食のため、親父と外出。
午後1時00分。
出社する親父に代わり、長妹がやってきて、二人で看病。
午後1時30分。
吐血。看護婦を呼び、吐血剤を点滴に注入。親父に連絡することを考えましたが、心配もさせたくない上、夕方には親父も戻ってくるので、とりあえず、静観することにします。
午後2時00分。
じいちゃん、酸素マスクを拒否。代案として鼻に直接付けるタイプの酸素吸入。
午後2時20分。
看護士の血圧チェック。血圧がやや下がっているためか、測定器を変えて2度実施。
午後2時30分
二度目の吐血。看護婦を呼びます。主治医の先生が俺を部屋の外に呼びつけ、「かなり厳しい状態になる可能性が高い。施しようがないので、ある程度覚悟してほしい」
午後2時40分。
じいちゃん落ち着く。
午後2時45分。
なんかしんどそうだ。横になってベッドにしがみついている。とりあえず、看護婦を呼びに下の階のナースステーションに走る。
午後2時50分。
看護婦さん、血圧を測って驚愕。主治医に緊急指令発令。これはまずいぞと思ったので、親に電話を入れようと外に出ようと思った瞬間、看護婦さんが大声で呼んでも眼と口を開けたまま応答せず。心臓が止まっている模様。
午後2時51分。
主治医代行と看護婦全員が集合。主治医代行から、体内で出血して血圧がどんどん下がっている、よって、○○と××の方法があるが、どちらでいくかと選択を任されるも、まったく判断できないため、親父に電話。親父と主治医代行で会話させる。最終的に、主治医に任せることで決定。
午後3時00分。
主治医、人工呼吸マッサージ。装置の心拍数表示、反応を示すも、非常に微量なパルス。主治医に外に呼び出され、「がんばってくれてきたけど、これ以上はもう難しい」各方面に電話を入れる。
午後3時35分。
家族が到着。臨終を伝えられる。
齢90、ボケもせず、病室にも本を持ち込む程の活字中毒。幼少時に母方の祖父を亡くしたこともあり、「じいちゃん」といえば、彼のイメージです。その生命力には驚愕します。10歳で母を、15歳で父を亡くしたにもかかわらず、小学校・中学校の校長になり、その長き功労を称えられ、6年前には天皇から勲章をもらうまで上り詰めていきました。生前、よく食いよく寝よく本を読み、誰にも寄らず、誰にも驕らず、実に我が道を邁進する元祖でした。
実は2年前から体調は優れておらず、入退院を繰り返していました。足がパンパンに張り出し、水がたまるようになり、水の成分を調査した結果、ガン細胞が見つかりましたが、どの部位からかを特定するには手術が必要です。が、高齢者の手術を実施する医者はなかなかいません。よって、自然治癒を望む他はないのが現状でした。
そんなにかわいがってもらった記憶はありませんが、怒られた記憶もありません。なんともいえないオーラを常に出していたじいちゃん。部屋の中で山高帽を被ってサッカー観戦している姿が印象に残ってます。家に帰れば「帰ったでえええええええ」と近所中に響く声で叫び、口癖は「おおきに」。そんな彼の最期を見届けれたことは、ある意味で喜びでもありました。
とりあえず、じいちゃん、天国でNHKの国会中継とサッカーと相撲、ゆっくり楽しんで下さい。
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