第三国タイにて明日行なわれる試合、北朝鮮vs日本。
日本が勝てば予選一抜けです。負ければ混沌として参ります。
『まあ勝つだろうね』という雰囲気が漂ってますし、
『なんとかなるだろう』という認識が広がってます。
と・ん・で・も・なーーーーーーーーい。
伸ばしてみましたが、とんでもごじゃいませんよ、ほんと。
ずばり、最終予選のクライマックスです。いや、前回の
バーレーン戦も『今夜が山田』でしたが、北朝鮮戦は、
『今夜も山田』です。
なんでそうなるの?
〔鬼儺匯邱
いるはずのもの(観衆)がいない。この違和感。
早い話、練習試合のような気持ちになってしまうシチュエーションの中、どこまで予選突破というモチベーションで違和感から脱出できるか。まさに変な踏ん張りが要求されます。
中田・中村・小野欠場
レギュラーであり、代表では明らかにワンランク上の中盤の選手がゴッソリいません。選手層だけでなく、戦術をどうするつもりなのか。小笠原を司令塔にもっていって果たしてどれだけいい試合をこなしてきたかと、今まで。そう、苦戦必至です。
スコール
突然の雨はどちらに運を呼び込むのでしょうか。ゴロのシュートは効果的なことは誰でもわかります。むしろ、それは両チームに当てはまることなんです。ポカばかりの川口、またやらかしそうな予感がするのは、俺だけですか。
に鳴鮮のモチベーション
もはや予選絶望的ながら、日本への対抗意識は剥き出しです。
しかも、なんでかわからんけど、自分たちのホームで出来ず、
気づけば第三国。むかつくでしょうな、普通に。
これら4つの壁を乗り越えて、果たして日本は予選突破なるか。
闘え!!!!
システムなんかどうでもええ!!
ゴールにぶち込め!!!!
ぶちこんだらんかい!!!!!!!
以前にも『書くこと』を書いてみました。今回も書いてみます。
いつも思うのですが、書く際にいろんなことを考えてしまいます。
小さい部分では、『〜です』『〜ます』にするのか、体言止めにすべきか。大きな部分では、どんなテーマにするのか。テーマ決定後は、リズムを考えてどこで句読点をいれるのか。さらに、リズムが悪くなるので、無駄な言葉を排除し、理解してもらえる最小限の表現にする。無論、必要な無駄はバシバシ打ちますが、不要な無駄は邪魔だから削除します。
つまり、考えることで手段は以前よりも上達した気がします。
しかし、掘り下げるべきテーマが全く掘り下がらなくなりました。肝心な点が考えられてません。
その理由を考えてみました。
大学受験では国語の偏差値40。変な解釈するわ、ろくに言葉を使えないわ(今でも)、それはそれはひどいものでした。本はたくさん読み、映画も観て、音楽も聴いて、いろんな人と出会ましたが、それらで拾った表現を実際の『書く』という行為に全く落とし込めなかった。
そんな俺が書く面白さを知ったのは、やはりメールでしょうか。
しかも出会い系でしょうか。って疑問文ちゃうな。
出会い系メールのおかげです。
当時、8年前、まだポピュラーではなかったメール(PC)に真っ先に飛び込み、AOLでいろんな女性と会いました。妻とも会いました。もうアホかというぐらい書いては返信を待ち焦がれてました。その中で気づいてしまいました。
○書けば書くほど、うまく自己表現できる。
そんなツボに気づき、熱病の如く、書いて書いて書き倒してました。キーを1回叩くことが絵筆の一タッチ、一文字入魂。基本が狂ってます。基本が狂う理由は単純です。
『俺をわかってくれ!!』
『俺は誰かと精神的に繋がりたい』
・・・・俺。俺・俺・俺状態です。
当然のことながら、テーマは自分と直接的に繋がっていたから、一生懸命にもなりますし、必然的に掘り下がった内容になりました。単刀直入にいえば、INにINに入り込んでいった。
では、今は?
結婚もした。パートナーとも切磋琢磨しながら協力している。
仕事もマズマズだ。経済的にもさほど切迫していない。
身内にも大きな問題は起こっていない。何の物欲も沸き起こってこない。
つまり、無難で、平凡で、世間一般的に『幸せ』な状態なのでしょう。こんな状態では、いいものを書こうと思っても、書けない感覚がつきまといます。自分の細胞や神経が逆撫でして立ち上がるような、例えるなら恋愛時のような精神状態が必要なんでしょうか。
それとも、ただ単に想像力がなくなっているのでしょうか。
いや、もっと普遍的なものかもしれない。
映画でも音楽でもなんでもいい、例えばサッカーを観て興奮した、とします。しかし、『興奮した』という文字で書き綴りますが、自分の抱えた感情を実際に表現するのはとても難しい。興奮にもいろいろありますが、その素地や起伏・種類・微妙な違いをどうすれば
文字で他人に的確に伝えられるか。おそらく無理でしょうか。それは無理なんでしょうか。
んー、結局うまく表現できない。答えは風の中です。
いつも思うのですが、書く際にいろんなことを考えてしまいます。
小さい部分では、『〜です』『〜ます』にするのか、体言止めにすべきか。大きな部分では、どんなテーマにするのか。テーマ決定後は、リズムを考えてどこで句読点をいれるのか。さらに、リズムが悪くなるので、無駄な言葉を排除し、理解してもらえる最小限の表現にする。無論、必要な無駄はバシバシ打ちますが、不要な無駄は邪魔だから削除します。
つまり、考えることで手段は以前よりも上達した気がします。
しかし、掘り下げるべきテーマが全く掘り下がらなくなりました。肝心な点が考えられてません。
その理由を考えてみました。
大学受験では国語の偏差値40。変な解釈するわ、ろくに言葉を使えないわ(今でも)、それはそれはひどいものでした。本はたくさん読み、映画も観て、音楽も聴いて、いろんな人と出会ましたが、それらで拾った表現を実際の『書く』という行為に全く落とし込めなかった。
そんな俺が書く面白さを知ったのは、やはりメールでしょうか。
しかも出会い系でしょうか。って疑問文ちゃうな。
出会い系メールのおかげです。
当時、8年前、まだポピュラーではなかったメール(PC)に真っ先に飛び込み、AOLでいろんな女性と会いました。妻とも会いました。もうアホかというぐらい書いては返信を待ち焦がれてました。その中で気づいてしまいました。
○書けば書くほど、うまく自己表現できる。
そんなツボに気づき、熱病の如く、書いて書いて書き倒してました。キーを1回叩くことが絵筆の一タッチ、一文字入魂。基本が狂ってます。基本が狂う理由は単純です。
『俺をわかってくれ!!』
『俺は誰かと精神的に繋がりたい』
・・・・俺。俺・俺・俺状態です。
当然のことながら、テーマは自分と直接的に繋がっていたから、一生懸命にもなりますし、必然的に掘り下がった内容になりました。単刀直入にいえば、INにINに入り込んでいった。
では、今は?
結婚もした。パートナーとも切磋琢磨しながら協力している。
仕事もマズマズだ。経済的にもさほど切迫していない。
身内にも大きな問題は起こっていない。何の物欲も沸き起こってこない。
つまり、無難で、平凡で、世間一般的に『幸せ』な状態なのでしょう。こんな状態では、いいものを書こうと思っても、書けない感覚がつきまといます。自分の細胞や神経が逆撫でして立ち上がるような、例えるなら恋愛時のような精神状態が必要なんでしょうか。
それとも、ただ単に想像力がなくなっているのでしょうか。
いや、もっと普遍的なものかもしれない。
映画でも音楽でもなんでもいい、例えばサッカーを観て興奮した、とします。しかし、『興奮した』という文字で書き綴りますが、自分の抱えた感情を実際に表現するのはとても難しい。興奮にもいろいろありますが、その素地や起伏・種類・微妙な違いをどうすれば
文字で他人に的確に伝えられるか。おそらく無理でしょうか。それは無理なんでしょうか。
んー、結局うまく表現できない。答えは風の中です。
俄然やる気消滅、昨日は6時帰宅です。 エムアイです。
妻の体調が芳しくないこともあり、夕ご飯を小生が製作することになりました。
よくよく考えれば、『どっちが飯を準備するねん』って、=妻、という図式が当たり前にある日本社会、そら妻も不満が募るわなと、妙に同情してしまいました。まあ、外食できる程の財力があれば愚問でしょうが、家庭を持つとは、自分のやりたいことをやりながら両立、などというのは難題の極みであり、かといって、役割分担をすれば克服するわけでもない。結婚ってなんやろ・・・・・・・どんなんかなーーーーーーーーーと、ふと思います。
電車に乗りながら、そんな永遠のテーマを考えながらも、メニューも考えます。限られた時間の中でおまえは何ができる?何をする?しばし、考えて出た答え。
『鶏茶漬け』&軟骨のもやし炒め
鶏茶漬けは、小さい時に母が俺と二人だけの時に1度だけ作ってくれた逸品でした。鶏好きの俺にとっては、当時も今も極上の一品です。コストもかからない、ただただシンプル。でもうまい。
軟骨の炒め物は、水道橋の『北京亭』を真似た、ニンニクと軟骨のフライです。今回は、あえて炒めてみようと。ただ、炒めるだけではボリュームがないので、シャキシャキ感を残したもやしを投入しようじゃないかと。しかし、『あえて』と考えて作った時は、必ず失敗しますが・・・
スーツのままスーパーで買出し後、早速、トリガラ3個の血を水で取り除き、六甲のおいしい水を入れた鍋に入れます。3個買ったのは時間短縮のため、後はひたすら沸騰させます。
その間に、みじん切りのニンニクとタマネギをキツネ色になるまで塩コショウをふって炒めた後に皿に出して、鶏軟骨を炒める。塩コショウ&炒めた後に、先程の皿をジョイント、最後にもやし投入。はい、出来た。
まずい・・・・・。コショウが効き過ぎ。絶句です。
気を取り直し、玄米を入れたどんぶりに海苔をしいて、薄切りにしたササミを並べます。さらにゴマ・刻んだネギをたっぷりふります。そこに熱いトリガラスープをIN。出来上がりと。
うまい。もっと時間があればさらに濃厚なスープだろうに。
というわけで、ひさびさの夕飯作りはいい気分転換になりました。
妻の体調が芳しくないこともあり、夕ご飯を小生が製作することになりました。
よくよく考えれば、『どっちが飯を準備するねん』って、=妻、という図式が当たり前にある日本社会、そら妻も不満が募るわなと、妙に同情してしまいました。まあ、外食できる程の財力があれば愚問でしょうが、家庭を持つとは、自分のやりたいことをやりながら両立、などというのは難題の極みであり、かといって、役割分担をすれば克服するわけでもない。結婚ってなんやろ・・・・・・・どんなんかなーーーーーーーーーと、ふと思います。
電車に乗りながら、そんな永遠のテーマを考えながらも、メニューも考えます。限られた時間の中でおまえは何ができる?何をする?しばし、考えて出た答え。
『鶏茶漬け』&軟骨のもやし炒め
鶏茶漬けは、小さい時に母が俺と二人だけの時に1度だけ作ってくれた逸品でした。鶏好きの俺にとっては、当時も今も極上の一品です。コストもかからない、ただただシンプル。でもうまい。
軟骨の炒め物は、水道橋の『北京亭』を真似た、ニンニクと軟骨のフライです。今回は、あえて炒めてみようと。ただ、炒めるだけではボリュームがないので、シャキシャキ感を残したもやしを投入しようじゃないかと。しかし、『あえて』と考えて作った時は、必ず失敗しますが・・・
スーツのままスーパーで買出し後、早速、トリガラ3個の血を水で取り除き、六甲のおいしい水を入れた鍋に入れます。3個買ったのは時間短縮のため、後はひたすら沸騰させます。
その間に、みじん切りのニンニクとタマネギをキツネ色になるまで塩コショウをふって炒めた後に皿に出して、鶏軟骨を炒める。塩コショウ&炒めた後に、先程の皿をジョイント、最後にもやし投入。はい、出来た。
まずい・・・・・。コショウが効き過ぎ。絶句です。
気を取り直し、玄米を入れたどんぶりに海苔をしいて、薄切りにしたササミを並べます。さらにゴマ・刻んだネギをたっぷりふります。そこに熱いトリガラスープをIN。出来上がりと。
うまい。もっと時間があればさらに濃厚なスープだろうに。
というわけで、ひさびさの夕飯作りはいい気分転換になりました。
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