無料ホームページ ブログ(blog)
mi1011.net三十路のバラード
mi1011.net
または私は如何にして心配するのを止めて人生を愛するようになったか
201705<<123456789101112131415161718192021222324252627282930>>201707
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
7月15日午前9時25分、離婚。
他人と共に生きる作業は難しい。

何せ他人だ。価値観も発想も癖も感覚も違う。それが他人。
思うようにならぬ相手によって人間は磨かれ進歩向上していく。
価値観を認め、協力する。言葉に変換すると簡単に終わるが、実に難しい。
ただ、それがいくら困難であっても続けれるだろう。
その作業によって生まれるものに価値を見出すことが出来れば。

その先にあるものとは、新しい未来。
だから、未来のための今を見つめる。
その立ち位置の向こう側に、俺の価値はあるのか。
なかった。必死で探したが、そこになかった。
だから、この短く濃い日々を乗り越えて、新しい道を選ぶことにした。

今後×の呪縛も受けることになろう。押し殺してきた思いもある。
それらもまたすべて飲み込んで生きることにした。

緑の紙を役所に出し、40分後受理された。
離婚が成立した。
スポンサーサイト
とある夫婦の日常的週末
午前中、私の妻と近所の山へハイキングに出掛けました。特製サンドイッチを頬張りながら地底人の話題で盛り上がり、獣道を下ります。

午後、私の妻と近所のレンタルビデオに出掛け、『官能ホテル:ルーム1』を借りようとしたら、無言のプレッシャーを感じたので棚に戻しましたが、『なんで借りないの』といわれて棚から出されましたが、答えに窮して、やっぱり戻しました。

夜、私の妻とチャーハンを作り、味付け失敗で若干凹みました。彼女は満足しておりましたが、慰めなのか、真剣なのか、二人の味覚の感覚の違いは相当あるなと感じました。

深夜、二人で2ちゃんねるを覗いた後、映画『リトル・ミス・サンシャイン』を観ます。

夫婦とは面白いものです。
折れイズム

友人から面白い記事が届きました。
『折れイズム』・・・。あんまりにも面白かったので、そのまま抜粋します。心当たりのある方、読後に夜空を見上げてみましょう。星が泣いてるかもしれませぬ。

http://www.chugoku-np.co.jp/Otoko/otoko97/1/970116.htm

(抜粋はじめ)
四十歳代以降、年齢が下るにつれて「夫が弱く妻が強い」家庭が増えている。そこでは心理的な力関係が、極めてアンバランスになっている。なぜそうなったか。妻がパート・専業の夫を中心に三十人以上から話を聞いた。見えてきた道筋はこうだ。

夫には「家庭は安らぎ」願望がある。家の中では穏やかに過ごしたい。意見の対立があって険悪な雰囲気になると、気分的に参ってしまう。対決は避けたい。そこで、気に染まないことでもつい譲歩してしまう。「折れイズム」である。

それが重なる。負け癖がつく。夫は家庭内校則のもとで、妻の心理的な支配を受け、休日から小遣いまで管理される。

かくして「妻の王国」が完成する。王国を動かすのは妻の「機嫌」である。

王国の中で、家族はどうなるか。まず夫は、自分の価値観が全うできない。妻の気分に振り回される受け身の夫は、自分が自分でなくなる感情に襲われ、安息の場所を失う。家庭内ホームレスだ。仕事を終えたときの気分は「帰宅拒否」。

妻はどうか。相手が折れるから自分のすることはすべて正義、との錯覚が起きる。心理学でいう「自己肥大」。きつく言えば増長。

子供はどうか。母親の機嫌をうかがい、柔らかい支配に窒息する。

やや極端ながら、このシリーズで取り上げてきた家庭を図式化すればこうなろう。

これまで女性は弱者、といわれてきた。しかしこうした現実を見ると、それは違うのではないかと思う。「社会的には弱者、家庭内では強者」というのがより正確だろう。社会と家庭を分けて考えると、現在の男の姿がはっきり見えてきた。

今の状態を招いた深い要因は「折れイズム」にある。その底に横たわっているのは、男女のコミュニケーションの溝だ。

 まず、育ち方の違いが基本にある。女は小さいころから感情表現を許され、男は耐えることを教えられる。だから夫は自己表現が下手で、口論をしても妻になかなか勝てない。

 そうしたベースの上に、男女の発想の違いが乗る。男は「理」、女は「情」。それを、今回は痛感した。「何ごとも話し合いで解決できる」という信仰があるが、発想の原点が違う男と女は、むしろ話し合いでの解決は困難、という前提からスタートした方がいい。

 夫婦げんかをテーマに話していて、「なぜ妻はこんな言い方をするのか」という点で、夫たちの話は面白いほど一致した。二つのキーワードでくくってみた。

 まず「記憶の飛び火」。

 もともと一つのテーマから、けんかは始まる。ところが妻は、言い募ってくるうち「あのときはどうだった」「あのときはこうだった」と、当面のテーマとは関係ない記憶を次々に手繰り寄せ、総攻撃を仕掛ける。これが「記憶の飛び火」現象だ。

 ついで「木に竹の論法」。

 ある夫が、妻の夕食時の長電話を注意した。「何よ、あなたが飲みに行くのに比べたら安いものよ」と妻。次元の違う話を、木に竹を接ぐがごとく強引に結び付けて、怪しまない。

 妻が自らの主張を正当化するあまり、理に合わない「飛び火」や「木に竹」に走ると、夫は初めは怒り、次いで「話にならない」と沈黙する。こうした繰り返しで学習したのが折れイズムである。

 女性にも言い分がある。男と違って女は妊娠、出産、子育てで精神的な窮地に陥ることが多い。「その時に夫は支えてくれなかった、と思うと、その『恨み』は何かあるとすぐ噴出するものです」と言う女性がいた。「優しく言っても聞かないから、大声になる」と言う人もいる。

 おそらく最初は小さなすれ違いから始まるのだろう。お互いの思いが分からないままにエスカレートして、妻はなじり、夫は折れる。家の中で自らを抑圧している夫と、膨脹する妻。その風景は、双方にとって不幸だ。

 どうしたらいいか。夫は、妻の言葉の刃(やいば)の内に潜む心の内奥の訴えに耳を澄ます。妻は、言葉を少し抑えて夫の人格攻撃をしない。コミュニケーションの基本的なスタートはこの辺だろう。

 話題になったダニエル・ゴールマン「EQ―こころの知能指数」に夫婦げんかのコツが書いてある。

 「夫の方は、妻の怒りや不満にとことん付き合って聞く。気持ちを認めてもらったと思うと、妻の怒りは和らぐ。妻の方は、夫を攻撃し過ぎず、苦情をいうときはその行為にテーマを限定して、追い打ちをかけない」

 感情を鎮め、相手に共感する能力を身に付け、バランスのとれた「健全な意見の不一致」が説かれる。

 女性は長く、社会的に弱い立場にあった。だから女性解放運動が生まれ、男性に異議を申し立ててきた。

 しかし家庭内に限っていうと、核家族化で状況が変わり、今や女性は強者になりつつある。夫からすれば、「男も家庭に参加すべし」という大義を背にした妻から、家の中でもまた突き上げられている気分がある。折れイズムがよりくっきりと出てきたのは、こうした最近の状況があることも間違いない。

 言うまでもないが、このシリーズは、妻に寄り掛かったわがままでぐうたらな亭主を弁護してきたのではない。「つらさ」「割り切れなさ」を抱えていながら、妻に吐き出せない夫の心を代弁しようとした。かつての男がそうだったように、強者には、弱者の心がなかなか見えないからだ。

 王国の妻を責めるのが目的でもない。夫婦は、相手の本音を知って初めて、いい関係が築ける。その一歩になったら、と思うのである。(石田信夫記者)

 シリーズへの意見や感想を、電話でお受けします。16、17の両日午前10時から午後7時まで、082(236)2332=文化部=に。ファクスなら082―291―5828。郵便なら広島市中区土橋町7―1 中国新聞社文化部「男はつらいよ」担当まで。

(抜粋終わり)

男はつらいわ。
夫婦にまつわるエトセトラ
先日、妻帯者のいる友人と会いました。
店に座るなり、ぼやき始めた彼は、夫婦間の問題を抱えている様子です。彼が言います。

「もう、俺、あかんわ。我慢できへんわ。」

いわく、金銭管理が異常に厳しいらしく、クーラーかけてただけで、彼女(奥さん)の怒りゲージをFULLにさせたとか。

いわく、彼女の家族のスケジュールを優先し、自分の都合は二の次となっているとか。
(二人のマンション~彼女の実家間の距離:チャリで10min)

彼も相当キテるみたいで、腹くくったような顔つきです。
ちょっと待て、おまえ既に×1やぞと。×2はマズイぞと。
それぐらいは彼もわかっているはずです。

話し合いも持っているはずです。でも、相手はそうはいかない様子。彼の心中察すると、辛いやろうなと。二人の関係性の問題と思いますが、もっともっと腹を割った話し合いをした方がいいのではと忠告しておきました。

実は、ご多分に漏れず、この俺も妻と喧嘩しました。
今は仲直りしました。もちろん、双方に思うところはあるでしょう。わだかまりが全て解消したかというと、それもまたお互いそうではないでしょう。どっちに理があるか、男はそう考えますが、女はそうではないと思ってしまいます。これもまた男の言い分でしかない。俺は女ではないので女の原理・原則がいまだわからない。

ゆえに、互いの原理・原則に反した事が起きた場合、互いに我慢しています。我慢、我慢と。

じゃ、何のために我慢するの?となりますが、
「お互いがお互いのために」生きるためです。
つまり、協力するということです。
他人同士で、しかも異性です。わかりあえるわけがないのです。
ただ、わかりあおうとする姿勢は大事でしょう。

だから結婚しているのでしょう。
ただ、あまりにも、その基本路線を無視した行動が出過ぎると、
協力関係ではなく、主従関係が成立する。

やっぱり、奇麗事は大事ですよ。
忘れそうになった時ほど、効果を発揮しますから。
アニマルバカ
妻はアニマル馬鹿です。生粋の動物好きです。

TV画面に動物が映ると、魂が抜けたかのように立ち止まり、凝視しています。外にて向いの歩道で散歩中の犬を目撃すると、また、魂が吸い寄せられるように、凝視しています、凝視しています、凝視しています・・・・

そして、必ずおもむろに携帯のカメラを取り出した後、
撮影します、撮影します、撮影します・・・・・・・・・・

その間は、私は、ケダモノの撮影待ちです。歩道で途方に暮れていること、しばしです。

妻のアニマル馬鹿。

本人に聞いたところ、あの無垢さが非常にヨロシイということで。
しかし、チワワとかプードルとかは気持ち悪いらしく露骨に毛嫌いしております。ある意味、憎んでさえいます。睨んでる時すらあります。また本人に詳しく聞いたところ、あの「作られた観」「媚び観」が非常にヨロシクないということで。プードルとかに悪意はないと思うのですがね・・・ええ

では、こんな妻のアニマル馬鹿を少しは注意したらどうだという意見もあるかもしれませんが、家でエロ関係の閲覧を一応承認されている身分の私としては、これで五分五分だと勝手に解釈しいや、むしろ、動物みて和んでもらえるなら・・・とある意味、いい関係だなと自画自賛してます。

まあ、そんなこんなで、うちも動物飼おうかねという話になりました。新たなメンバーが加入することはとても楽しみです。

だんだん、このブログがほのぼの系に変化していくことを最も恐れている私であります。
copyright © 2004-2005 Powered By FC2ブログ allrights reserved
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。